原発を推進する人たちは、原発を止めたら今までのような「快適な暮らし」はできなくなるよ、と脅す。それによって不安を感じてしまった若い人たちもいるかもしれない。しかし「快適な暮らし」とは、いったい何なのだろう?
私事になるが、先週母がまた入院した。彼女は昭和5年生まれである。物心ついてから思春期までをずっと戦時下で過ごした。「快適な暮らし」とは、もちろんほど遠い。数日前、母の担当である若い看護師が、お母さんは楽しいときに何となく口ずさむ歌は何ですか?と聞くので、母は、そうやねぇ、たとえば「兵隊さんよありがとう」とか、と答えた。
その歌は、ぼくもうたうことができる。ぼくは昭和31年生まれで、小・中学校は戦後民主主義教育、社会は高度経済成長という時代に育った。そのぼくが十代のある時、戦時中に流行った軍歌の多くを自分が歌えることに気がついて、愕然としたことがあるのである。
理由は簡単だ。母は子供から少女時代を通じて、軍歌を聴いて育った。戦後になって歌謡曲も聴いたけれど、軍歌は心の深い所に刻まれていた。結婚して最初の子供(ぼく)が生まれ、子育てに奮闘する中で口をついて出た歌は軍歌であった。ぼくは軍歌を子守歌として育てられたのである。
「兵隊さんよありがとう」というのは、子供たちに向かって、君たちが学校に行けるのも、家族の団らんも、みんな命をかけて戦ってくれている兵隊さんのおかげなのですよ、という歌である。快適な暮らしは原発のおかげなのだという言い方を聞いて、ぼくはこの歌を思い出した。
原子力発電所と、死を賭して戦う戦士たちとの、想像上の符合。〈いまここにある幸せ〉が、どこか彼方にある〈危険〉や〈死〉によって贖われているというレトリック。原発を止めるということは、このレトリックの作動を止めるということでもあるのだ。
原発が可能にしてきた「快適な暮らし」とは何か? それは、人々が連帯しなくても、たった独りでも生きてゆける、便利でクリーンな世界だ。それは戦時下に育った母はもちろん、経済成長期に育ったぼくたちも含め、伝統的共同社会の鬱陶しさを嫌悪してきた人々の集合的無意識が欲望してきた世界である。
それは結構だが、少し行き過ぎたのではないか?というのが、今ぼくたちが直面している問題だろうと思う。人がかくもバラバラでも生きていける世界は、実はかえって効率が悪いのではないか? 便利さを少し元に戻し、もう少し連帯を必要とする世界の方が、人はむしろ元気に生きられるのではないのか?
「脱原発」運動が向かっているのは、本当はそうした問いである。「原発」は問題それ自体は重要だが、ひとつのきっかけにすぎない。その背後にあるのは「快適な暮らし」をエサにして何らかの犠牲を正当化する論理(戦争から高度経済成長を通じてバブルまでを支えてきた論理、実はとっくに破綻しているのにぼくたちを呪縛し続けている論理)から、人はいかにして自由になれるのか?という問いなのである。