今日の午後は美学会のシンポジウム「美学V.S.マンガ」を聴きにに出かける。
このタイトルはよく考えるとなかなか秀逸だなぁと思う。去年横浜での第1回は「美学V.S.現代アート」だった。この美学会シンポジウムは今後も「美学V.S.何々」という形式で続いていくのだろう。
「美学」はいろんな意味であまりにマイナーなの(笑)で、ふつうの意味で対峙・対決できるような仮想敵があるわけではない。 だから「美学V.S.」の後に何が来ても、それは「他流試合」である。あまりに「他流」すぎて、どっちが勝ったのか負けたのかも分からないような試合である(去年の「美学V.S.現代アート」がまさにそうだった)。
だが、まさにこの噛み合わなさにこそ、この種の企画の意味が存在するのである。
噛み合わないとはいえ「美学」と「マンガ」には共通点もある。百年あまり前、美学にはいわばマンガみたいなところもあったのである。
夏目漱石の『吾輩は猫である』に出てくる「美学者・迷亭」のモデルは、東京帝国大学の初代美学教授だった大塚保治がモデルだと言われている。迷亭は、この物語のマンガっぽい登場人物たちの中でも、群を抜いている。もちろんフィクションだけど、モデルの方もかなりマンガ的過剰性をそなえた人だったのではないだろうかと想像する。生涯一冊も本を書かなかったこの美学者の唯一知られている論文「ロマンチックを論じて我邦文芸の現況に及ぶ」(1902年)を読む度にそう思う。病気のため文部省から命じられた留学を果たせず京大の美学教授になりそこねた高山樗牛にしても、書いてることは今読んでみるともう本当にいい加減、場当たり的でハラハラするが、なんだか無根拠に元気なのである。誇張ではなく、明治30年代の美学論文や芸術批評を読むとき、その感触はマンガを読むときと非常に似ていると感じることが少なくない。
美学は百年余り前に帝国大学における講座として制度化された。つまり、国のお墨付きをいただいて、ご立派なものとなったのである。一方マンガは、「文化庁メディア芸術祭」その他によって、ごく最近国のお墨付きをもらい、大学教育の中でも制度化されるに至った。もちろん美学とマンガはあらゆる点で異なっているのだが、国家との関係というこの一点においては、一世紀という時間を隔てて両者は運命を共にしている。そう考えると面白い。