心の交換・性の交換
人間もけだもんも、いちばん大事なんは「心」やわな。ほしたらこの「心」が、からだのどこらへんにあるんかゆうたら、むかしやったら心臓、いまは脳ゆうことになってます。うちら、別にどっちゃでもかめへんけど、まあ字面からゆうたら、心臓には「心」が付いてますけど脳にはついとらん、ゆうところが、ちょっと脳には分が悪おますわなぁ。
そうゆうわけで、もし心臓が心やったら、心臓を交換したら心も交換される。人間の心と神さんの心、おなごの心と男はんの心が入れ替わる、ゆうわけや。
ヨーロッパで有名な話は13世紀の詩人、ビュルツブルクのコンラートちゅうお方がが書かはった心臓の話がある。さる貴族の奥方が、騎士と相思相愛になりよる。ゆうてもこれはいわゆる「宮廷恋愛」ちゅうやつで、べつに夫の目を盗んでモーテルで不倫するみたいなんとちゃいまっせ。旦那は何とか騎士を遠ざけようとするんやけど、この騎士、旅先でふとしたことから死んでまいよる。その時従者に、自分の心臓を愛する奥方に届けてくれゆうて頼むんやね。ところが届けられた心臓を先に見つけよった旦那は、嫉妬のあまりお屋敷の料理人に、これスープにしてうちのやつに喰わしたってくれて命じよった。何も知らん奥方は食べてまいよって、その後で旦那が、お前なぁいま喰うたんは、お前の若い思い人の心臓やでゆうて、ウラミをはらしたった思た瞬間、奥方はショック死しはった、ゆうことや。まあ、一種の心中ゆうことやね。
もうちょっと高尚な話でゆうたら、シエナのカタリーナゆう拒食症の聖女のお話がおます。この人、若いみそらで純潔の誓いを立てて、純潔ゆうのんはイエス・キリストさんを花婿にするゆうことなんやけど、あるとき夢にイエスさんが来やはって、脇腹を開いてこのおなごの心臓を持って行かはったと思たら、しばらくして光輝く自分の心臓を持って戻って来はって、これ代わりにあげるわゆうて身体に入れてくれはった。ほんまスペシャルな男女間の心臓移植やけど、相手は男ゆうても神さんの息子はんやし、もったえなくも何やら性的にやばい感じの話でもありますわな。
心臓入れ替えるやなんてそんなえげつないこと、日本にはあれへんわと思たはるかもしれませんけど、手塚治虫の『リボンの騎士』ゆうのんはまさにそれで、あれは天国でこれから生まれる女の赤ちゃんに、間違うて男の心入れてまうゆうお話ですわ。こんなもんをむかし子供に読ませたさかい、日本のマンガ文化はそもそも、心臓の入れ替えによる性の入れ替えゆう観念に、深く本質的に取り憑かれてまいました。そやから、あの作品がどうこのキャラがこうゆうような議論だけやのおて、心(臓)の交換と性の交換ゆうような視点から、もういっかい日本のマンガ文化を見直さはったほうが、ええのんとちゃいますやろか。
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