ドラマが人生を"MAKE"しよるんです
8がつごうはドラマの回やけど、"Make Ogaki Meeting"に合わせて紙ではっこうしたい、ついては"make"ちゅう言葉にかんけいあることを、なんか書いてくれはったらうれしいわぁ、ゆうてふくもりさんが言わはりますんです。長いことおせわになってるへんしゅう長の、たってのご依頼やさかい、ゆめゆめ、おろそかにはでけまへんわな。
"Make"ちゅうのんはちゅうがくせいでも知ったはるきほん英たん語やけど、たいてのお方はただ「作る」ゆうにほん語の意味でおぼえたはる。それでかめへんのやけど、「作る」ゆうてもどんな感じの「作る」ゆう行為を指すのんかゆうたら、もともとこれはインドヨーロッパ祖語の"mak-"とか"mag-"とかゆう語根から出て来よった言葉で、いろんなもんを捏ねていっしょくたにする、ゆうようニュアンスや。ひと聞きは悪いですけどまあ「捏造する」、でっち上げるゆう感じやろかね。"mingle"(混ざる)"magma"(マグマ)ちゅうような言葉も、同じ語根からでけとる。
そう思て考えたら、ドラマゆうもんはまさに"makeup"、つまり「作りもん」にほかならん、ゆうことになるんやけど、もんだいはそれが何から出けとるか、ゆうことや。考えの足らんお方は、どっかに作りもんやない、ほんまもんの人生があって、作家はそこから拾てきた材料を組み合わせてドラマを"make"してる、ゆうふうに言わはるかもしれん。そやけどこれは間違うた美学的説明やゆうことを、ぬー界では中学のこくごの時間に教えてます。
ドラマの材料になるのんは、別なドラマや。つまりドラマが新しいドラマを作る。そうやって"make"されたドラマが、また別なドラマの材料になる。こうゆう具合にドラマは進化していくわけですわ。ほしたらいったい「作りもん」でないリアルな人生はどこに存在するのんやろか?て思わはりまっしゃろ。 人生はたしかに実在しますけど、人間にはそれを直接みることがでけへん、ゆうのんがほんまのとこや。いわばドラマゆうのんは、人生を可視化する仕掛けにほかならんのです。
もちょっと分かりやすう、言うたげましょか? うちらけだもんは、たとえばオスとメスが番うことを何の粉飾もなしに直視でける知性をそなえとる。にんげんにはそれがでけん。そやから、ただ番うだけのことをごていねいに"make love"とか言いよる。愛を捏ね上げる、ゆうことやね。こうゆう言語的比喩が、ドラマの基本要素を形づくっとるわけです。
みなさん、人生からドラマが生まれるんやのおて、ドラマが人生を"make"しとるんや、ゆうことを認識しはったら、これからの人生にも余裕がでけるし、ドラマ観るのんも面白なる、ゆうもんでっせ。
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