第27回 「鍵のかかった部屋」(フジテレビ)
鍵のかかった部屋? ポール・オースターを世界的にゆうめいにした『ニューヨーク三部作』の、あのさいごのおはなしが日本のドラマになるんやろか、おもてわくわくしてたら、げんさくは貴志祐介の『防犯探偵・榎本シリーズ』ゆう推理小説やった。その最新刊『鍵のかかった部屋』からとらはっただいめいらしいです。
いわゆる「密室殺人もん」ちゅうやつや。嵐のリーダーやってはる大野智が警備会社につとめる鍵おたくの青年で、これが佐藤浩市のべんごし事務所にいらいされてくる難事件をつぎつぎに解決するというお話なんやけど、ふつうの推理ドラマみたいに「はんにんは誰や?」ゆうことにポイントがあるんやない。はんにんは、見てたらすぐわかる。ポイントは、密室のなかでどうやって犯罪が行われたかゆう仕掛けの解明にある。
しかしいちばんの謎は、なんぼドラマとはいえ毎週まいしゅうそんな密室殺人がおこる異常さもさることながら、その犯人が普通のしろうとさんやのに、まるでかいじん二十面相みたいな手の込んだ犯行をめんみつに計画して、それをれいせいに実行できる、ゆうことやろかね。
実際の犯罪ゆうもんは、手の込んだことするほど計画通りにはいかんし、証拠を残すリスクも高うなる。しかし謎を解く側からしたら、手の込んだもんでないとおもろない。そやから推理小説の犯罪ちゅうのんは、犯人(つまり作者)が、「どうやったら解いた時いちばんおもろいか?」ゆうことを目標にして考えたはるわけや。そやから解く方は「解いた時いちばん意外でおもろい仕掛けは何か?」ゆう方針で考えなあかん。
ゆうたらこれは、入試もんだいを解くときの考え方とおんなじやね。入試問題も、じゅけんせいの知識や能力を計るためゆうより、解答をきいたとき「ああなるほど」となるように作られておる。よしおかせんせはむかしアルバイトで予備校の講師やってはったとき、「問題を解こうと思たらあかん、出題者の意図を読みなはれ」ゆうてええかげんな授業してはったらしいけど、あながち間違いゆうわけでもない。
ちょっと哲学的に言い直したら、すべての〈推論〉はじつは〈解釈〉かもしれんでぇ、ゆうことや。推理小説の謎はつねに世界の謎と重なってるんやけど、もしも神さんがこの世界を、人類のためでも何か他の崇高な目的のためでもなく、たんに「解いたときにメチャメチャおもろい密室」として造らはったとしたら、どうやろ? もしそうやったら、真理(犯人)の発見よりアート(仕掛け)の解明の方が大事になる。推理小説のせかいはきほんてきに、カント的やのおてニーチェ的にできたある、ゆうことですわ。
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