しりあがり寿『あの日からのマンガ』
カレーライスやったらたいていのもんは喰える、ゆうのんとおんなじで、マンガやったらたいていのもんは読める、ゆうてるようなウチでも、にがてなマンガゆうもんはあります。たとえば『はだしのゲン』(中沢啓治)やとか、さいきんのでゆうたら『チェルノブイリ 家族の帰る場所』(フランシスコ・サンチェス、ナターシャ・ブストス、管啓次郎訳、朝日出版社)やとか、そういうやつや。別に、絵ぇがキライとか筋がしょうもないというわけやないで。ただ、どうもマンガとしては、しっくり来ませんのや。
べつにマンガが、政治やら社会のシリアスなもんだいを扱うたらあかん、ゆうてんのと違いまっせ。それどころか、シリアスなもんだいほど、マンガはほんらいあつかうべきや、思てます。ただその扱い方ですけど、やっぱりマンガはマンガの「本領」ちゅうもんがあんのとちゃいますか。ほんでその本領は、みなさんをクソ真面目に啓発したり教育したりするのんとは、ちょっと違うとこにあんのとちゃうやろか。そやゆうて、マジメなことをただ無責任に茶化す、ゆうのんとは違う。そやのおて、深刻な問題を腕組みして仁王立ちして考えたはるおかたの膝を、うしろからカクンとしてみたり、おなかコチョコチョ、みたいなことする、ゆうことやろか。それがウチの理解するところの、マンガの本領ですわ。
それでゆうたら最近のめざましい成果は、しりあがり寿せんせの『あの日からのマンガ』や。これ、ほんまにおもろいです。「あの日」ゆうのんはもちろんきょねんの3月11日のことやけど、この作品はべつに、じしんやらげんぱつ事故そのものを描いたマンガとは違います。そやのおて、じしんとげんぱつじこでオロオロしてるウチら自身のことを描いたマンガや。マンガは本来ことがらを描くもんやない、ことがらをめぐって右往左往してるにんげんの姿を描くもんや——そういうマンガの原点を、今みたいな状況の中でもブレたりせんと守れるんは、ほんもんのマンガ家ゆうことやね。
もちろん、マジメに考えさせたり、いろんなことを教えたり、心を癒したりするようなマンガがなんぼあっても、それはかめへんで。そやけどそうゆうお仕事は、べつにマンガやのおてもでけるゆうたらでける。それにたいして、人のこわばった意識や思考の膝カっクンしたりお腹こそばったりするのんは、なかなか、マンガやないとでけにくいことやし、どんな時代どんな社会でも、そういうマンガがのおなったら、このよのなか、さびしなりますわなぁ。
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