『うぬぼれ刑事』
こんかいは困りましたわ。いま話題のドラマゆうたら、あの福山なんたらちゅうオッサンの出てはる「りょうま」かもしれへんけど、まぁなんとゆうか、あんましコメントする気になれん。ぬー界はケダモンの世界でっさかいな、韓国やら日本とは違て、ただイケメンやゆうだけでは興味ないし、幕末の、アブないテロリストの若もんらを妙に美化する筋立ても好かん。おんなじNHKの朝ドラの「ゲゲゲ」も人気やけど、水木しげる先生みたいな偉いおかたを、いまさらウソくさい出世話の主人公にしたてあげるてな趣向も、いただけまへんわなぁ…。水木せんせのこと扱うんやったら、戦争体験とかだけやのおて、肥溜めが臭おてくるような日常を描かんと、どもならんやろ。
ゆうわけでもうヤケクソみたいなもんやけど、これは『タイガー&ドラゴン』で一世を風靡した宮藤官九郎と長瀬智也のコンビの、刑事ドラマです。そもそも「ドラマ」ゆうもんは、最低限の「リアリズム」ゆうもんがないと成立せえへん。「りょうま」やとか「ゲゲゲ」みたいなろくでもない話(ゆうのんは、油断すると泣かされてしもて悔しいからやけど)は、少なくとも観てるあいだは「これはほんまの話やで」と思てんと、観ることがでけん。それに対して刑事ドラマゆうもんは昔からええかげんで、犯罪やら殺人やらが一見「リアル」に描かれる反面、よう考えたら設定も筋書きもとうていあり得へんような話ばっかりで、「ドラマの自殺」ともゆうべきジャンルでしたわ。あげくのはてに『噂の刑事トミーとマツ』『スケバン刑事』『富豪刑事』みたいなんが生まれてくるのんも、ある意味ひつぜん的な成り行きですわ。
そこからするとこの話、どんだけアホくさい非現実性だけでドラマを構成できるかゆう、刑事ドラマゆうジャンル本来の脱構築的な可能性を極限まで追求した、果敢な挑戦と言えんもんでもない。主人公の刑事(長瀬智也)は「超恋愛体質」と言われておって、出あう女にすぐ惚れるんやが、その女がいつも犯人で、クライマックスではその女を追いつめて、逮捕状と婚姻届けを出して「結婚してくれ」言いよるんやけど、いつも女は逮捕状の方を選ぶゆう、もう情けないやらアホらしいやら、分からんような結末で終わるんです。随所でいろんな刑事ドラマの文法やら語彙への参照が散りばめられておって、まるでポストモダン小説読むような楽しみはありますけど、ぎゃくに言うたら、ポストモダン小説読む程度の楽しみしかないゆうこっちゃ。
しかしまぁ、にんげんがドラマ観るゆうのんは、どっかにリアル、現実よりもリアルな何かを求めて観るゆうことは、たしかやからね。このドラマ観たあとは、なんや昔の『部長刑事』が観とうなったりもするもんや。
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