警察官がヨッパライ運転でひき逃げしよった。気象庁が地震の警報、間違えて出しよった。ノリピーもマイケルも、やっぱり薬漬けやった…。そうゆう事件そのもんはまぁ、起きてしもたんやから、もうしゃあないとせんかい。この世の中、そないにきれえなもんやあらへんし、システムは完全やあらへんし、人間は、なんやかんやゆうても、弱いいきもんや。なんぼ平和な日本ゆうても、けしからんことは、次から次から出て来ますわ。うちらが人間のテレビのニュース見てて、ほんまに怖いて思うんは、そうゆう報道そのものやない。そういう報道についてインタヴューに答えさせられとる、一般市民のコメント、それ観て「そやそや」て思わされとる視聴者の心のうちや。
そら、飲酒運転取り締まる立場の警官が、酒飲んで車乗るなんて、言語同断や。地震の警報、間違おて出したら、そら迷惑しゃはる人もおますやろ。芸能人やからゆうて、薬やってええゆうことにもならん。そんなことは、あたりまえのことですがな。そやけど、そんなことでも起こってしもたからには、起こるだけの事情があるはずや。その事情は、それぞれのケースを具体的に、よう知ってはる人にしかわからん。そのことは、ちょっと想像力を使こたらわかることや。そやのに、なんの関係もない通行人がマイク向けられてやで、「信じられん、けしからん、あるまじき行為や、もっと自覚をもってほしい」やとか、堂々と言わはる。自分の顔テレビで映されても、恥ずかしそうにもしてはらへん。まるで、自分の意見は一般市民の代表やゆうこと、つゆほども疑おたらへんみたいに、自信満々や。うちらがまことに恐ろしいと思うのんは、このことですわ。
なんでかて、そういう一般的に正しい意見、「コレクトネス」ちゅうもんは、メディアが作っとる、フィクションにすぎへんからや。ほんまは、マイク向けられたら何も言わんと逃げていくお人、「うちらそんなん、わかりませんわ」ゆうようなお人も、ぎょうさんいてはったはずや。そやけどそうゆう映像はボツで、うまいこと答えはった人のんだけ編集して番組やら記事やら作ったはるんやから、まあヤラセみたいなもんや。「コレクトネス」は原理的に〈ヤラセ〉としてしか存在でけへんもんやのに、そのことを、インタヴューする人もされる人も、わかったらへん。これは、想像力の貧困ちゅうやつですわ。想像力ゆうもんはは知性の根源やで。想像力なくした人間の顔ゆうのんは、見ててあんまし気持ちのええもんやない。
いわゆるテレビや新聞だけの問題やあらへんで。2ちゃんねるやら、ブログやらゆうもんのほとんどは、そうゆう「コレクトネス」の言説を、マスメディアなしで、自前で増殖させたはるようなもんですわ。つまり自分で自分にマイク向けて、自作自演のインタヴューに答えたはるようなもんやね。マスメディアの、個人的身体への内面化ゆうこっちゃ。今のインターネットの退屈さの原因は、そこにあります。ほんまは、ネットワークちゅうもんは、もうちょっと違うおもろい使い方も、できるはずやけど、現状ではだいたいが、誰も彼もがミニ放送局みたいなこと、したはるだけや。この状況、いずれ変わるんやろかね。けだもんの分際で生意気ですけど、うちらいっつも心配してますのやわ。
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