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〈そつぎょうしき〉がおわったおもたら、もうまもなく〈にゅうがくしき〉や。ええぐあいに、さくらもさきはじめましたわ。こんどは、あたらしゅうにゅうがくしてきゃはる、かいらしい〈いちねんせえ〉のひとらに、ごあいさつせなあかんばんやね。
うちが、ちょっとおちこんで、うつびょうみたいなことかいたら、さっそく、よしおかせんせが、きてくれはりました。「おまえがげんきないゆうてて、どないすんねん。けだもんが、げんきなくなったら、にんげんは、もっとあかんようになるねんで。ちきゅうじょうの、いきもんとして、せきにんあるたちばやゆうこと、かんがえや。」ゆうてくれはって。まあ、こんなしょうもないおせっきょうは、べつにどうでもよろしかったんやけど、おみまいに、じょうとうなおさけ、もってきてくれはりましてな、それがうれしゅうて、ふたりで、しこたまのみまして、べつにそれで、なにがかいけつした、ゆうわけやないけど、とりあえず、げんきになりました。おさけは、ありがたいもんや。せんせは、うちのこと、けだもんていわはるけど、うちらからみたら、にんげんのほうが、けだもんやさかいね。おたがいさまやけど、とにかく、もつべきもんは、けだもんのともや。どうるいのともでは、こうはいかへんのと、ちゃいますか。
ここんとこ、しばらく、なんや、やるきのおなってしもてまして、ちょっと、やすませてもうてました。いつも、きてももろてたみなさん、かんにんどすえ。
にんげんにとって、〈とり〉のいのちてなもんは、まあ、かるいもんなんやろね。にんげんのいのちの、ごひゃくさんじゅうななぶんのいち、ぐらいやとおもたはるのやろか。まえにここで、じゃんぼじぇっときの、えんじんにまきこまれて、しなはった〈とり〉のことをかかせてもらいました。〈かぜ〉になれんのは、〈とり〉のおかたらだけや、ゆうてね。にんげんは、たとえしんだかて、〈かぜ〉になるには、とてもとても、おもすぎますわ。ふろいとのろんぶん「れおなるどだびんちのようねんきのあるおもいで」のなかには、〈はげたか〉が〈かぜ〉うけてはらむてゆう、むかしのいたりあのめいしんがしょうかいされてますけど、〈とり〉は、たしかにうちゅうのよっつの〈えれめんと〉のなかでゆうたら、〈かぜ〉にちかいことはたしかです。ただ〈すずめ、かいちゅうにいりて、はまぐりになる〉てな、はいくの〈きご〉もおまして、いちがいにはいえんことやけどね。
よっかいちで、まちこうばのしゃちょうやっとるおじいが、きょうとの〈けんにんじ〉の〈かんのんさん〉ぬすんだゆうて、けいさつにつかまらはった。そのほかにもぎょうさん、〈ほとけさん〉いえにあつめたはったそうな。ほんでときどき、きんじょのひとらに、みせたりしとったらしいね。あほなおじいやけど、まあ〈ほとけさんら〉は、そんな、おこったはらしまへん。てれびやらしんぶんでは「ぶつぞうをおがんできた、ひとびとのそぼくなしんこうしんをふみにじる、ひれつなこうい」とか、ゆうたはりますけど、〈ほとけさん〉らごじしんは、「あーあ、みつかってしもた。しゃあない、そろそろかえろか」て、ゆうたはりましたわ。いっつも、てらのほんどうの、せまいさいだんのなかにすわって、つぎからつぎからくるかんこうきゃくには、ええかおみせとかんとあかんし、てれびやざっしのしゅざいはくるし、じゅうしょくは〈ぶんかざい〉していきにしとるし、なんやかんやでほんま、〈すとれす〉かんじたはったんや。
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