にんげんにとって、〈とり〉のいのちてなもんは、まあ、かるいもんなんやろね。にんげんのいのちの、ごひゃくさんじゅうななぶんのいち、ぐらいやとおもたはるのやろか。まえにここで、じゃんぼじぇっときの、えんじんにまきこまれて、しなはった〈とり〉のことをかかせてもらいました。〈かぜ〉になれんのは、〈とり〉のおかたらだけや、ゆうてね。にんげんは、たとえしんだかて、〈かぜ〉になるには、とてもとても、おもすぎますわ。ふろいとのろんぶん「れおなるどだびんちのようねんきのあるおもいで」のなかには、〈はげたか〉が〈かぜ〉うけてはらむてゆう、むかしのいたりあのめいしんがしょうかいされてますけど、〈とり〉は、たしかにうちゅうのよっつの〈えれめんと〉のなかでゆうたら、〈かぜ〉にちかいことはたしかです。ただ〈すずめ、かいちゅうにいりて、はまぐりになる〉てな、はいくの〈きご〉もおまして、いちがいにはいえんことやけどね。
それはともかく、〈とり〉もいきもんやさかい、いのちがなんぼ〈かるい〉ゆうても、かるがるしゅうあつこうたげたら、あきまへん。うちゅうのなかの、こういう〈かるい〉もんを、どんだけだいじにゆうてあげれるか、ゆうのんが、まあゆうたら〈けんしき〉ゆうもんや。とうきょうの、ゆうびんきょくのびるを、れきしてきなたてもんやさかい、つぶしたらあかん、ゆうために〈朱鷺をヤキトリでくうようなもんや〉いわはった、そうむだいじんがおる。ほんでこんどは、〈やきとりやのおて、はくせいにしたる〉とかぬかしとるらしい。うち、〈とり〉のなかまやないけどね、けだもんのひとりとして、ええかげんにせえ、といいたいですわ。ゆうてるないよういぜんに、こんなげひんなたとえつかうひとのじんかくが、しんようでけへん。しかもよりよにってこのおじい、なまえに〈はと〉がついてまんのやで。おのれのなまえに、はずかしいとおもえちゅうねん。
…とかまあ、わがままかってなことばっかり、ゆうてますけど、「そんなおもろいないぶろぐ、やめてまえ」てな、おしかりのことばもなく、けっこうおもろいやないか、ゆうごせいえん、ありがとおます。おもろいゆうたら、こないだよしおかせんせが、〈かんせいがくいんだいがく〉でやらはったがっかいはっぴょうも、そのつぎのしゅうに、とうきょうのしんぽじうむでしゃべらはったことも、けっこうおもろかったで、ちゃんとよみたいさかい、げんこうおくってんか、ゆうごきぼうが、いつくかあったみたいです。
そやけど、それはげいにんさんに、きょうのまんざいおもろかったさかい、ねたちょう、みせてんか、ゆうようなもんで、むりですわ。うちは、とくべつのあいだがらやさかい、みせてもうてますけどね。うちが、あんまりせんせとこんいやさかいゆうて、あやしいんちゃうかてな、げすのかんぐりはやめとくれなはれや。うちらは、きよいつきあいなんや。だいたい、なんぼなんでも、にんげんをじょうふにするほど、まだおちぶれてまへんわ。
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