うちが、ちょっとおちこんで、うつびょうみたいなことかいたら、さっそく、よしおかせんせが、きてくれはりました。「おまえがげんきないゆうてて、どないすんねん。けだもんが、げんきなくなったら、にんげんは、もっとあかんようになるねんで。ちきゅうじょうの、いきもんとして、せきにんあるたちばやゆうこと、かんがえや。」ゆうてくれはって。まあ、こんなしょうもないおせっきょうは、べつにどうでもよろしかったんやけど、おみまいに、じょうとうなおさけ、もってきてくれはりましてな、それがうれしゅうて、ふたりで、しこたまのみまして、べつにそれで、なにがかいけつした、ゆうわけやないけど、とりあえず、げんきになりました。おさけは、ありがたいもんや。せんせは、うちのこと、けだもんていわはるけど、うちらからみたら、にんげんのほうが、けだもんやさかいね。おたがいさまやけど、とにかく、もつべきもんは、けだもんのともや。どうるいのともでは、こうはいかへんのと、ちゃいますか。
このにさんにち、ちょっと、かんのもどりゆうか、はださむいさんがつですけど、よのなか、そつぎょう、にゅうがくの、しーずんや。ほたるのひかり、あおげばとおとし、はるなのにーおわかれですかー、ゆうやつですわ。ほんで、そつぎょうしきゆうたら、いろんながっこの、こうちょうせんせが、おはなししゃはるんが、まあ、ていばんでおますわな。この、こうちょうせんせの、おはなしゆうもんが、いっけん、どうでもええもんのようにみえて、じつは、そうやないんですわ。きいたところでは、このごろ、こうちょうせんせの、ありがたいおことばきいて、「そつぎょうせいを、おくることばとして、いかがなものか」みたいな、くじょうのでんわ、がっこうにかけてきよる、あほたれなおやも、いよるらしいです。とんでもない、こっちゃ。こうちょうせんせのいわはることは、おとなしゅう、きいとけちゅうんじゃ、ぼけ。こんなしょうもないこと、いいよるおや、ろくなもんやあらへんで。そだてられてる、おこたちが、ふびんですわ。
だいたい、いまのがっこうは、ひょうかばっかり、きにしてはるけど、そもそも、せんせえのいわはること、ひょうかするもんやおまへんえ。ひょうかみたいなもん、しはじめたら、せんせえゆうそんざいじたいが、なりたたへんゆうこと、わからんのかいな。そら、せんせえゆうても、にんげんや。ほんまにえらいひとも、たまにいてはるけど、だいたいは、ただのおっさん、おばはんですわ。そんなひとらが、いつもかも、りっぱなこといえるどうりが、おまへんやないか。そやけどな、どんなことでも、それは、せんせえのいわはることやさかい、とりあえず、そんちょうして、きいとく、ゆうのんが、だれのためでもあらへん、そこからまなぶもんじしんのために、ひつようふかけつな、たいどなんやで。これが、きょういくゆうもんの〈こあ〉や。それがでけへんやつは、そもそも、まなぶという、のうりょくが、けつじょしてます。せんせえをひょうかして、ええとこだけきゅうしゅうしたろ、ゆうようなあほたれは、まさにそのじてんにおいて、せんせえらよりも、はるかにしょうもないにんげんにしか、なられへんわ。
そやからやな、こうちょうせんせえのはなしは、ごちゃごちゃ、もんくいわんと、きいときなはれ。
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