きょうは、たいへうようせんそうのおわったひぃやった。このせんそうは、うちらがにほんにつれてこられたきっかけでもありまんので、たにんごとやおまへんのや。にんげんのおかたにとっても、せんそうはまだおわってへんように、うちらがここにいるちゅうじじつは、せんそうがおわってへんということをいみしてまんのや。のうてんきなこのまえのにほんのしゅしょうが「せんごれじーむからのだっきゃく」てなことをいわはったけど、ぬーなかまはみんなそれきいて、あほぬかせ、どこでせんごがおわっとるんじゃとぼやいてました。
そやけど、ちょくせつたいへうようせんそうをたいけんしゃはったおかたらは、もうけっこうなおじぃおばぁになってはりますわなぁ。ほんま、ごくろうさんどした。せんそうたいけんをつたえる、なまのこえがとだえてしまうゆうて、しんぱいしてはるひともいはりますけど、ひとがしぬんはしゃあない。うちらなんか、もっとはようしぬしね。ただ、うちらがしぬんは、しぜんなことやけど、にんげんは、しんでもあるいみ、いきつづけます。そこが、ちょっとえらいとこやね。
ししゃというのんは、このせかいからいんようになったんやのおて、いつでもここにいてはるようになりまんのや。べつに、ゆうれいとかゆうことやおまへんで。たいへいようせんそうで、ぎょうさんなひとがしなはった。なんぽうのしまでは、たたかいもせんと、じゃんぐるのなかでがししやはったひとが、なんぜんにんといたはります。そういうひとらはさぞ、うらんではるやろなと、いきてるにんげんはおもいがちや。
それは、いきてるひとらのおもいやね。ほんまのとこ、しなはったおかたらは、たしかにいままここに、りんざいしてはるんやけど、ゆうれんみたいに、うらみとかもってはらしまへんで。しんだら、そんなんはぜんぶなくなりまんのや。ただ、じいっと、いきてるひとのやることをみたはります。せんそうでしなはったひとだけやのうて、すべてのししゃたちはそうなんや。この、ししゃのしせんをりあるにかんじれるようになったら、いまのにほんのおかたら、もっとずうっとしあわせに、いきられるようになりまっせ。
いきてるひとらを、いま、このときにほんまにしあわせにしてくれはるさかい、せんぞにはかんしゃせなあかんのや。これが、うちがしゅうせんきねんびにいいたかったことや。また、えらそなこというてしもたけどね。
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