高校1年生の女子生徒が、何の恨みも憎しみもなく、ただ人を殺してみたかったという動機から、クラスメートの女子を殺害し、その遺体を解体しようとしたらしい——この衝撃的な事件について、いったいどのように考えればいいのか、どんなことでもいいから何か書いてくださいと若い人たちから頼まれたのだが、いったい自分に何が言えるのか…とにかく書いてみることにする。
とりあえず、自分自身が高校1年生であった1974年のことを思い出してみる。その4年前に市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げた三島由紀夫の作品は、文学好きな高校生の間でよく読まれていた。ぼくも高校1年生の夏休み、まだエアコンのなかった家の暑さを逃れて藤森神社の木陰に逃げ込み、聴覚を麻痺させるような蝉時雨の中で、白地に赤い文字で作者と作品名がデザインされた新潮文庫の『午後の曳航』を読んだ。
この記憶について言うのは、佐世保の事件のことを聞いて、まずこの小説のことを思い浮かべたからである。とりあえず共通しているのは、猫の殺害と解剖、そして次に人間の。けれどもそれは現象的な類似であって、何よりもまず記憶の糸を繋いだのは、この小説の中で13歳の少年が口にしていた「世界の圧倒的な虚しさ」(たしかそうだったと思う、いま手元にないので正確かどうか確認できないが)という言葉である。
本当を言うとその当時、ぼくは三島由紀夫の文章に魅了されながらも、この作家のことをとても、ほとんど生理的に嫌悪していた。それでこの「世界の圧倒的な虚しさ」という言葉についても「なんて陳腐な言い回しだろう!」などと自分のノートに酷評したように思う。もちろんそれは、思春期の肥大した自己意識によるものだけれども、それだけではなく、ある程度は時代的な状況の反映でもあった。
というのも1970年代前半くらいまでは、世界が「圧倒的に虚しい」という生の実感は、その通りの言葉で意識するかどうかはともかく、広く共有されていたと思うからである。太平洋戦争の記憶はまだ血の流れる外傷としてあり、高度経済成長で生活は豊かで安定しているようにみえたけれども、深層においては、そうした豊かさや安定は大きな深淵の中に宙吊りになったものとして感じられていた。
中学生の頃は、環境破壊と核戦争によって人類は21世紀をみることはないだろうと堅く信じていた。大人がどう言おうとそんなことは当たり前だと思っていた。だからその当時、大学をバリケード封鎖して革命を叫ぶ、自分よりひとまわり上の(いわゆる「団塊世代の」)青年たちのことを、なんて能天気な人たちだろうと冷ややかに眺めていた(その後自分が大学生になると、ぼくたちは彼らから「シラケ世代」「三無主義」と呼ばれるようになった)。そういうわけなので「世界の圧倒的な虚しさ」は、そんな大げさに文学的に言わなくても、デフォルトの生の実感だったのである。
けれども今、来るはずではなかった21世紀まで生き長らえて、なるはずではなかった50歳後半になった自分からみると、この「世界の圧倒的な空しさ」という言葉が、まったく異なった響きを持つことに気づかされる。いわばこうした言葉だけが、憎しみもなく人を殺す思春期の心について考える手がかりであるはずなのに、その実感を失った現代の人々は、ひたすら「子供たちの心の闇」だとか、それを防止するには何をどうすべきかとか、教育のどこが間違っていて誰に責任があるのかとか、そんなことばかり言うからである。
それらの問いには答えはないとぼくは思う。なぜならそれらは本当は真剣に発せられた問いなどではなく、若者の犯した猟奇的事件に動揺しうろたえた大人たちが、みずからの不安を表明しているにすぎないからである。こうした出来事を前にして唯一率直な態度は、人間はこのような異常な行為も時にはしてしまう存在であることを理解することであり、そうした理解のためには、私たちは自分の思考をどのように鍛えればいいのかを考えることである。
こんなことを言っていると現代では、「それではあなたはこのような出来事を容認するのか? あなたも教育者のはしくれなら何か対策を提示べきではないのか?」などと非難されることは分かっている。この種の非難に対しては(もういいかげんウンザリしているので)申すべきことは何もない。ただひとつ確かなのは、何かエキセントリックな事件が起こるたびに、もっぱら「原因は?」「責任者は?」「防止策は?」などと騒ぎ立てるような心性こそが、「世界の圧倒的な虚しさ」の一部にほかならないということである。